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歯科衛生士を辞めたその後。私と3人のリアルストーリー

歯科衛生士の国家資格を取得し、専門職としての人生を歩んできた私たちですが、日々の業務のなかで「もう辞めたい」と感じてしまう瞬間も訪れます。それは、決して珍しいことではありません。

歯科衛生士の免許を持つ人は全国で約31万人います。しかしそのうち、実際に就業しているのは約14万人。(令和4年 厚生労働省)

つまり半数の歯科衛生士が、現場を離れている現状があります。辞めた歯科衛生士は、どこで何をしているのでしょうか?

実感としては、出産を機に現場を離れ、そのまま退職して専業主婦になる方が多い印象ですが、仕事を辞めた歯科衛生士がその後何をしているのかといった公的なデータは存在しないようでしたので、今回は、筆者の身近な3人に話を聞きました!また、筆者自身も一度は歯科衛生士を辞めた1人。私が「辞める」という選択に至った理由や背景、そしてその後の歩みについてもお伝えしていきますね!

森下真璃香
D.HIT編集部 森下真璃香
歯科衛生士歴12年。一般歯科で正社員として勤務。引越し→結婚を経て出産・復職をしましたが、もっと『自由に』『家族との時間を大切に』歯科衛生士人生をもっと楽しくするべく、思い切ってフリーランスに転身。現在は、歯科医院と契約をして臨床・採用支援など活動中。

離職した歯科衛生士3人に聞いてみた

かつて離職を選択したことのある歯科衛生士、Fさん、Aさん、Nさんの3人にお話を伺い、離職のきっかけや、離職中の思いや不安などをお聞きしました。

ママになり育児を優先するために辞めたFさん

Fさんは、妊娠8ヶ月まで正社員の歯科衛生士として勤務していましたが、出産・育児に専念するために専業主婦の選択をしました。

辞めた後は何してた?

慣れない育児と家事に追われる生活が始まりました。幼稚園の予定管理や子どもの受験サポートなど、家族の生活全体を支える役割を担っていました。2人目も産まれ、毎日目まぐるしく過ぎていきました。

不安だったことは?

長女が私立小学校に入学し、授業料だけで年間100万円に…。次女にも今後かかる費用や、習い事や塾代も重なり、「働かなきゃ」と思ったものの、子どもの預け先がなかなか見つからず。当時は将来の教育費への不安がかなり大きかったです。

今は何してる?

現在はブランクを乗り越え、歯科衛生士に復職しました。

“介護”と“夢”で離職したAさん

Aさんが2回歯科衛生士を離れた理由は、家族の介護と自分の夢に向き合うためでした。立ち止まったその時間が、彼女にとって大切な節目になっていたようです。

1回目の離職理由は家族のため

最初に仕事を辞めたのは、お母さんの病気がきっかけ。通院や手術などが重なり、1〜2年間は半介護の生活で、家族を最優先にするために思い切って仕事から離れるという決断をしました。

2回目の離職は自分の夢のため

2度目の理由は全く別の理由。「絵やクリエイター関係のお仕事をしたい」という夢のため、1〜2年間集中して活動するために離職しました。「歯科衛生士」と「夢のための活動」の両立はハードで、体調不良な中無理をしていたら心身を壊してしまい、辞める決断をしました。夢のために歯科衛生士を休んで、自分のやりたいことに集中して活動しました。

不安だったことは?

お金の不安は常にありました。貯金がどんどん減っていき、将来の生活や老後への不安が大きくありました。更に、体調を壊したことで、「元通り働けるのか」という先の見えない不安も感じていました。

今は何してる?

現在は歯科衛生士として復帰して働きながら、イラスト・似顔絵の制作や、国内外の展示出展、受賞、アートブック掲載などアーティスト活動も行っています。今は歯科衛生士が9割、アート活動が1割ほどですが、展示や依頼の状況に応じて柔軟に調整しています。今後は制作時間の確保も視野に、バランスを見ながら配分を調整していく予定です。

ママになって、違う道も見て、やっぱり戻ってきたNさん

Nさんは、正社員で働いていましたが、産休・育休を取得した後、やはり子育てしながら職場に戻るのは難しいと感じ、離職したそうです。

辞めた後は何してた?

専業主婦として1〜2年、子育てに専念していました。何かしたいと思って、在宅でできる仕事に興味を持ち、無料の職業訓練を活用してwebマーケティングのオンライン講座を約1年間受講し、新しい分野にもチャレンジしました。

不安だったことは?

在宅で仕事をしたいと考え、職種や仕事内容は問わず挑戦したけれど、「今自分がやっていることは、果たして自分に合っているのか?これを学び続けて良いのか?」と言う不安や葛藤がありました。「やってみないと分からないから!」という思いで乗り越えました。

今は何してる?

歯科衛生士以外の違う道も見て考えた結果、「やっぱり歯科衛生士の仕事が好き」と思い直し、歯科衛生士に復職しました。

みなさん、介護や子育てや夢のために現場を離れましたが、ママとして、ひとりの社会人として、「自分らしい働き方」を模索した日々が今につながっているんだなと感じました。

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私の退職について

ここからは私の話になります。私は歯科衛生士として正社員で働いていましたが、ある時期にその道から離れることに決めました。なぜ離職という決断をしたのか、離職中はどのように時間を過ごしていたのか。これからお話しするのは、私のちょっとした経験と、その後の気づきです。同じように悩んでいる方がいれば、少しでも参考になれば嬉しいです。

1度目の退職は、理想と現実のギャップ

歯科衛生士を目指していた頃に思い描いていたのは、患者さんに寄り添いサポートし、仕事とプライベートを両立している自分の姿でした。しかし、実際働いてみて気がついたのは…

  • 思ったより体力仕事だった
  • 毎日2時間の残業が常態化
  • 無理のあるアポイントスケジュールや休日返上のセミナー参加

働いてみたら分かった「理想と現実のギャップ」がありました。

きっかけは院長との意見の相違

私が辞める決断をしたのは、心身ともに限界を感じた瞬間でした。患者さんに寄り添い、感謝される仕事には誇りを持っていましたが、ある時、日々の業務の中で疲弊し切っている自分に気がついたんです。

きっかけになったのは、院長先生との「予約」の対する考え方の違いでした。私は、予約時間通りに診療を開始することが患者さんからの信頼に繋がると考えていましたが、院長先生に「病院は待つのは当たり前」と言われたんです。また、有給の申請を半年前にしたにも関わらず、「どうせ遊びに行くんだろう」と否定されたことも、決め手となりました。私が院長に退職の意思を伝えたのは、その翌日でした。

少しの罪悪感と大きな開放感

「辞める」と決めたとき、心に浮かんだのは小さな罪悪感でした。これは、「逃げ」ではないか?本当はもっと頑張れるのではないか?自問自答しました。

でも同時に感じたのは、大きな解放感でした。「続けることが正しい」と思い込んでいた私にとって、それを手放すのは怖かったけれど、辞めた瞬間「もう無理しなくていいんだ」と胸の重りがスッと消えたことを覚えています。「辞めるのは逃げじゃない、自分を守る選択だったんだ」と、今ならはっきり言えます。

辞めたあとは、南の島で心をリセット!

現実から少し距離を置いて、本当に自分らしい時間を過ごしてみたい。

そんな時ふと思い出したのが、昔からの夢だった「南の島での暮らし」でした。すぐに1人暮らししていた家を引き払い、片道だけの航空券を持って、旅行で訪れたことのある奄美大島に単身移住しました。それまでの忙しさを手放して、南の島で心と体をリセットする日々が始まりました。

便利すぎる日常からの離脱と、心の充電

私の住んでいた場所は、都会まではいかないけれど、何もかもが手に届く距離にあり、便利さにあふれているところでした。日々の暮らしは不自由ないけれど、その便利さに息苦しさを感じているところもありました。

南の島への移住は、ずっと胸に秘めていた夢でした。美しい海と広い空、ゆったり流れる時間。そこには、便利さとは違う豊かさがありました。思いきってその地で暮らし始めてから、時計を見ない一日が当たり前になり、日々を「感じる」ことが増えました。便利すぎる日常から一歩離れ、自然とともに暮らすリズムの中で、自分らしさを取り戻すために、何もせず、心の回復を優先する日々を過ごしました。

自然の中で「やりたいことだけをやる」日々

「今日はどこに行こう?」なんてことを考えながら、結局目的地は決めずに気ままに散歩。海風が気持ちよくて、自然の音や匂い、それだけで心が満たされていくのを感じました。都会ではできない、堤防でのお昼寝。毎日のように家の目の前の海に入り、ウミガメと一緒に泳ぐ日々。

それまで「やらなきゃ」「頑張らなきゃ」という思いに疲れきっていた私は、予定も立てず、「その時にやりたいこと」に素直になる日々を送っていました。

1度辞めたけど、もう1回チャレンジしてみた

厚生労働省の調査によると、歯科衛生士を離職したとしても再び歯科衛生士として復職する人の割合は転職経験のある者の83.6%です。私もそのうちの1人で、離れてみると、「歯科衛生士の仕事自体は嫌いじゃない」ことに気がつきました。

前向きになれた再スタートのきっかけ

奄美大島滞在中、ずっと1人で過ごしていたわけではなく、地元の人や、旅行で来島した方など、人に関わる機会はたくさんありました。その方たちとの会話の中で、自分が歯科衛生士であること、歯のことや健康のことを話す機会も多々あり、「その話、すごく参考になる!」「もっと早く知りたかった!」「教えてくれてありがとう」そんなふうに言ってもらえるたびに、「私は歯科衛生士の仕事が好きなんだなぁ」と素直に思えたんです。

「自分の中の知識や経験が、誰かの役立っている」

その実感が、私の中にある「歯科衛生士やりたい」という気持ちに、また火をつけてくれました。

その後、結婚を機に奄美大島から出て、縁もゆかりもない土地に引っ越すことに。環境がガラリと変わり心機一転、

「職場が変われば大丈夫な気がする。もう一度チャレンジしてみようかな」

そう思うことができて、歯科衛生士として再スタートを切りました。

子育てとの両立に立ちはだかる現実

その後、とても働きやすいクリニックに恵まれ、私は順調に正社員の歯科衛生士として働いていました。アポイントは無理のない範囲で組まれ、残業もなく、心身ともに安定した環境で日々の業務に取り組んでいました。私が勤務していた歯科医院では、歯科衛生士が一人で一列を担当する体制が整っており、自分のペースで患者さんと向き合うことができる、理想的な職場だったと言えるかもしれません。

しかし、妊娠を機に、その穏やかな日常が少しずつ揺らぎ始めました。

ある日、院長夫人からこう声をかけられたんです。

「子どもが小さいうちは、すぐに熱出すことが多いからアポイント取れないね。どうする?」

私はそのとき、何も答えることができませんでした。確かに小さい子どもは体調を崩しやすく、急な欠勤が避けられないこともあります。しかし、それは子育てをする親にとって、どうしようもない現実。

代替案やサポート体制の提案があるわけでもなく、ただ「どうする?」と問われただけ。その言葉には、「働き続けることは難しいかもしれないね」という無言の圧力を感じました。

今思えば、あの時、自分の方からもっと何か提案するべきだったのかもしれません。「時短勤務でも続けたい」「アポイントの枠を少なめにしてもらえれば」・・・。そういう一歩を自分から踏み出せていれば、違う決断があったかもしれない、そう考えることもありました。

でも同時に、産前の不安や体調の変化、そして「迷惑をかけてはいけない」という思いが先立ち、言葉にできなかったのもまた、あのときの正直な気持ちでした。

そして結局、解決策が見つからないまま、私は産休・育休に入りました。

再び離職という選択

産後6ヶ月の頃、その院長夫人から「自分の出産があるから、子連れ出勤でいいから戻ってきてほしい。2歳くらいまで一緒でも構わない」と連絡がありました。そして、私は歯科衛生士業務ではなく、歯科医院のキッズスペースで子連れ出勤を始めました。

歯科衛生士としても復帰したかったので、保育園を探していましたが、落選続き。そんな中、スタッフから耳を疑うような言葉を聞かされました。

「院長夫人が『正社員なんだから普通は保育園に預けるよね』って言ってたよ」

え?私に言っていたことと全く違う…なぜ直接言わないの?と思いました。その後院長夫人に直接「保育園には預けようとしているけど、落ちている」と伝えましたが、モヤモヤが募りました。

歯科衛生士業務をしたい気持ちはありました。でも、預け先がないことを理解されず、子どもを持つこと自体が「職場の迷惑」という目で見られるのなら、ここに居場所はない、と私は感じました。

そして再び、離職という選択をすることになりました。

妊娠前には想像もしていなかった、二度目の離職でした。悔しさ、悲しさ、そして自分の無力さも感じました。でも同時に、自分と家族を守るための、大切な決断だったとも思っています。

歯科業界に限界を感じ、他業種へ転職

社会人になってからずっと、歯科衛生士として働いてきました。やりがいのある仕事でしたし、仕事に対して誇りも持っていました。しかし、出産と子育てを経て、歯科業界で働くことに限界を感じるようになりました

子育てを取り巻く環境は、私が思っていた以上に過酷でした。制度は整っていても、それを活かせるかどうかは現場次第。特に歯科医院という狭い職場では、経営者の意向ひとつで現場の空気も働き方も大きく左右されることを身をもって痛感しました。

子どもとの生活も大切にしたいし、仕事も大切だった私は、「この業界で子育てと両立しながら働くのは難しい」と考えました。

思い切って、まったく別の業種に目を向けてみようと決意し、近所のうなぎ工場で働いてみることにしました。そこで驚いたのは、子どもの体調不良などにとても寛容な職場の姿勢でした。「大丈夫だよ」と言ってもらえるたびに、申し訳なさと同時に、安心感に包まれました。自分の中での理想的な働き方ではないかもしれません。でも、”子どもがいても社会とつながっていられる”その実感が、あの時の私には何より重要でした。

歯科衛生士への想いと心の変化

出産と育児を経験したことで、私は立ち止まり、自分の生き方をあらためて見つめ直すことになりました。奄美大島で、「やっぱり私は歯科衛生士が好き」と気づいたことを思い出しました。「このまま歯科衛生士を離れたままでいいのか?後悔しないのか?」そんな問いを自然に抱くようになりました。

歯科衛生士という職業を大切に思っていて、患者さんとの関わりや、技術を磨く日々にやりがいを感じていたのは事実です。だからこそ、「嫌いになったわけではない」と胸を張って言えるからこその悩みだったと思います。

「自分らしい働き方で歯科衛生士としての道に戻れたら」…そう思っていました。

どう生きたいかを真剣に考え、フリーランスへ

これまでの私は、職場に合わせて、期待に応えるように、無理をしてでも頑張ってきました。でも、出産・育児、そして離職を経験する中で、「自分はどう生きたいのか」を真剣に考えるようになったのです。

そしてたどり着いたのが、「フリーランス歯科衛生士」という働き方でした。

誰かに合わせるのではなく、自分のペースで、自分がやりたいと思えることだけをやる。「無理して頑張る」ではなく「やりたいからやる」。その変化が心に余白をくれました。

仕事への誠意は変わっていません。でも、今は肩の力が抜けていて、気持ちがとても軽いです。誰かの理想に自分を合わせるのではなく、「私にとっての幸せな働き方」を大切にする。遠回りした分だけ、今の一歩がとても意味のあるものに感じられています。

これまでの歯科衛生士としての経験に、無駄だったことはひとつもありません。どんな職場であっても、どんな状況であっても、その時々で感じたこと、学んだことが今の自分をつくっている、と私は思います。

私は今、3度目の歯科衛生士人生を歩んでいます。あの時、辞める勇気を出してよかった。そう、心から思えています。

辞めるのは、逃げじゃない!

「辞める」という選択は、決して後ろ向きなことではないと思います。勇気を持って一度立ち止まったからこそ、見えてくるものがありました。

あの時、自分の意思を無視して無理をし続けていたら、私は自分を見失っていたと思います。「辞める」ことは決して逃げじゃなく、むしろ自分と向き合い、立ち止まって考える大切な時間になることもあります。私にとって離職は、自分を守るための選択であり、これからの生き方を見直すきっかけでした。

そして、たとえ歯科衛生士から離れても、「また戻りたい」と思えるなら戻ればいいし、スタートするのに遅すぎるなんてことはないんだと思います。

あの時の私と同じように、悩んでいる方がいたら、自分の気持ちを否定せず、自分の心や環境と向き合って欲しいと願っています。

森下真璃香
D.HIT編集部 森下真璃香
歯科衛生士歴12年。一般歯科で正社員として勤務。引越し→結婚を経て出産・復職をしましたが、もっと『自由に』『家族との時間を大切に』歯科衛生士人生をもっと楽しくするべく、思い切ってフリーランスに転身。現在は、歯科医院と契約をして臨床・採用支援など活動中。