病気や障害、医療的ケアが必要な子どもを育てるご家族にとって、歯科医院への通院は、実はとても“ハードルの高い行為”です。移動の負担、体調変化、医療機器の持ち運び、感染リスクへの配慮…。それらが重なり、「行きたくても行けない」状況に追い込まれているご家庭も多く存在します。
そうした中、注目されているのが「小児在宅歯科診療」という選択肢。
障害や疾患を抱え、通院が難しい子どもたちの“生活の場”へ歯科医療を届けることは、単なる口腔ケアではなく、成長していく子どもが安心して日常を過ごすための支援です。歯が生え変わり、嚥下が発達し、少しずつ世界が広がっていく…そんな日々の変化に、医療者としてどう寄り添えるかが問われます。
この記事では、小児在宅歯科診療の基礎知識や、対象となる子どもたちのこと、医療的ケア児を支える現場での工夫・連携についてご紹介します。まだまだ知られていないこの分野に、歯科衛生士としての一歩を踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
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通えない子どもへの歯科医療提供を
「この子、歯医者に通えるのかな……」そんなご家族の不安に応えるために生まれたのが、小児在宅歯科診療です。通院困難な子どもを対象に、歯科医師や歯科衛生士が自宅や施設を訪問して歯科医療・口腔ケアを行う医療サービスで、小児歯科の専門性と、訪問歯科の在宅対応力が合わさった医療形態です。
- 医療的ケア児(気管切開・経管栄養・人工呼吸器など)
- 重度の障害をもつ子ども
- 長期入院後に在宅療養へ移行した子ども
- 発達障害や知的障害により外出が難しい子ども
訪問歯科といえば高齢者と思いがちですが、その対象はこうした「通えない子どもたち」にも広がりつつあり、国としても、医科歯科連携や在宅医療体制の整備が進められています。
高齢者への訪問歯科と仕組みは似ていますが、対象が「成長・発達の途中にいる子どもたち」である点において、実はまったく別の視点が必要とされます。子どもたちは、これから成長していく存在。日々変化する身体や発達段階に合わせて、「今どんな支援が必要か」「次のステップでどんな機能が育つのか」といった視点で、「発達支援」としての歯科介入が求められます。
乳歯の管理や咀嚼訓練、発語を促す口腔環境づくり、姿勢や筋緊張に配慮したポジショニング…など、一つひとつの関わりが、その子の未来につながる支援となっていきます。
在宅歯科診療は、通院が困難な子どもたちが「今いる場所」で必要な歯科医療を受けられるようにする仕組みです。診療室では見えにくい、生活そのものに関わる医療であり、環境に合わせた柔軟な対応が求められます。
「この子は歯医者に通えないのかな…?」そんな不安の中に、在宅歯科は希望の選択肢として現れます。「通えないなら仕方ない」ではなく、「来てもらえるならお願いしたい」という選択肢があること自体が、家族にとって大きな支えになります。
診療のあと、「こんなに丁寧に診てもらったのは初めてです」と涙を流す方や、「誰にも相談できなかった」と打ち明けてくれた方もいらっしゃいました。私たちが届ける小児在宅歯科診療は、ただの歯科治療ではありません。子どもと家族を支え、社会との“つながり”を取り戻す医療なんです。
在宅診療の対象となる子どもたち
在宅で歯科診療を受ける子どもたちは、全身状態や医療的な背景が一人ひとり異なります。なかでも、「医療的ケア児」が年々増加しているのをご存知でしょうか。
医療的ケア児の増加に伴い医療体制が整備されてきた一方、歯科の対応はまだまだ追いついていないのが現状です。医療的ケア児や発達に課題のある子どもたちは、通院が困難なだけでなく、口腔ケアにおけるリスクも高いため、在宅での歯科支援体制の整備が急務となっているんです。
訪問歯科診療は高齢者が対象とされてきましたが、「子どもたちへの対応」も当たり前になる時代がきています。そのためには、年齢・疾患・生活環境に応じた支援体制や、小児特有の成長発達に配慮した関わり方が不可欠です。
ここでは、「小児在宅歯科診療」の対象となる子どもたちについて、背景や支援の実際、訪問現場での気づきなども交えながら詳しくご紹介します。
医療的ケア児とは?
医療的ケア児とは、日常的に医療的ケアを必要とする子どもたちのことを指します。
1990年代以降の医療の進歩によって、「かつてはNICUでしか生きられなかった子」が、自宅で家族と一緒に生活できるようになっていきました。医療的ケアを必要としながらも、NICUから在宅へと退院して地域で暮らす子どもたちが全国で急増したことで、新たに生まれた支援対象なんです。
医療的ケア児の家庭では、以下のようなケアが日常的に行われています。
- 人工呼吸器の使用(呼吸維持・気道確保)
- 吸引(痰や唾液の誤嚥防止、気道閉塞予防)
- 経管栄養(胃ろう、鼻チューブを通じた栄養摂取)
- 酸素療法や点滴の管理(慢性呼吸不全、栄養管理など)
歯科診療においても、こうした医療処置と連動した安全管理が欠かせません。気道の確保や誤嚥リスクの回避、体位の調整、医療機器の取り扱いなど、「診る前の準備」が診療と同じくらい重要になります。
医療的ケア児の支援が難しい理由のひとつに、「この子たちは今まさに成長している」という点があります。つまり、今日の支援が明日もそのまま通用するとは限りません。体の発達に伴って嚥下機能や口腔内の状態も変化し、その変化に合わせてケア方法や関わり方を柔軟に見直していく必要があるのです。
先天的な口腔疾患や形成異常(口唇口蓋裂、歯の欠如、顎の成長バランスの異常など)を併発していることも多く、通常のケアマニュアルが当てはまらないこともあります。歯科衛生士として関わるときには、「今、この子に必要なケアは何か?」を常に問い直す視点が求められます。
診療時だけで完結するのではなく、その子と家族の“24時間の暮らし”の中に無理なく入り込む関わりこそが、小児在宅歯科診療の本質であり、医療的ケア児と向き合う歯科衛生士の、繊細で尊い役割だと感じています。
先天性疾患・重症心身障害など多様なケース
正直、最初は聞いたこともない病名や、見たことのない状態の子どもたちが多くて、戸惑うこともありました。ですが、在宅での歯科支援を必要としている子どもたちは、確かにここにいて、日々を懸命に生きています。
- 脳性麻痺(CP)
- 染色体異常(18トリソミー、ダウン症など)
- 先天性心疾患や呼吸器疾患
- 重症心身障害
- 難治性てんかん
これらの子どもたちは、急な体調変化や発作のリスクを常に抱えており、通院自体が大きな負担になることも珍しくありません。だからこそ、小児歯科医や歯科衛生士が自宅や施設に訪問し、生活の場に寄り添った口腔ケアや診療を届ける意味があります。
医療的ケア児の場合、歯科受診が後回しにされることも多く、「気づいたときには口腔内がボロボロだった」というケースもあります。口腔内トラブルが全身の健康に影響することを私たちが知っているからこそ、そこに関わる価値があるのです。
「この子にはどういう環境で診るのがベストか?」を常に考えながら訪問をしていきます。小児在宅歯科に携わる側にとってのスタートラインです。訪問歯科や小児歯科の枠を超え、【命と生活に関わる歯科医療】としての意識が求められています。
私が関わった子どもたちのリアル
「この子も成長していくけど、普通の小児歯科だと連れていけないし…」「聞いても分からないと言われて…」とご家族の方から言われることもあります。
障害がある子どもや病気を持っている子どもも、日々成長をしていきます。ご家族にとって、分からないことが多い中で一緒に子ども達の成長を見守ってくれる訪問歯科の存在は大きく、「診てくれる人がいる」ということ自体が大きな安心につながっていると感じています。
実際に私が訪問したある男の子は、重度の心疾患と経管栄養、そして吸引が頻繁に必要な状態でした。移動は車いす+医療機器を必要とし、気温や湿度の変化にも影響を受けやすく、外出そのものがリスクになる子どもでした。
この子の歯科支援では、まず「ベッドの上でどうやって安全に口腔内を診るか」というところから始まりました。ベッドの周りには、たくさんの医療器具やコード。それらが何のための医療器具なのか、知る必要がありました。コードなどは移動できないことが多く、歯科治療や口腔ケアを安全に行えるよう体制を整えることが必要でした。また、頭の角度、室内の照明、吸引機の位置、保護者の立ち位置、体の向きなど、少しのズレで、呼吸のしやすさや誤嚥リスクに影響することを、現場で初めて実感しました。麻痺や筋緊張の状態によっても楽な体制が変わってきますので、常に体の状態をチェックしながらケアを進めていきました。
また別の子では、呼吸管理がとても難しい子がいました。歯科の介入にご家族も不安な様子でしたので、訪問時には看護師さんの同席をお願いし、安心して受けられる環境を整えていきました。医療職や家族と情報を共有しながらケアのタイミングを設計することも、歯科の大切な役割のひとつ。時には「今日はちょっと嫌がってるから、ブラッシングだけにしよう」別の日には、「今日は調子がよさそうだから、清掃に加えて嚥下のチェックもしてみよう」…そんなふうに、“今日のこの子にとってのベスト”を考えながら支援を組み立てていくことが、在宅現場では当たり前になってきます。
支援の正解は、ひとつではありません。難しさもありますが、その先に、ご家族の安心や子どもの笑顔につながるものがあると、私は現場で何度も実感しています。
歯科衛生士が担う役割とは?
在宅歯科の現場で歯科衛生士に求められるのは、「歯をきれいにする人」以上の役割です。もちろん口腔ケアやスケーリングも重要な仕事ですが、それだけでは現場は回りません。
- 子どもの全身状態の観察
- 医療的ケアや嚥下機能への配慮
- 家族との信頼関係
- 多職種との情報共有や連携
“生活に寄り添う医療人”としての力が問われる場面ばかりです。通院ができないからこそ、自宅という“生活の場”に訪問する私たちは、その子の命や成長を支えるチームの一員であるという意識が欠かせません。
ここでは、歯科衛生士として在宅の現場で実際にどんな関わり方が求められるのか、現場での役割や気づきについて詳しくご紹介していきます。
小児在宅歯科診療における基本業務
在宅歯科診療における歯科衛生士の業務は、単なる口腔清掃にとどまりません。口腔内の清掃や粘膜ケア、義歯の調整・清掃指導などの基本的な処置はもちろん、食べる機能や嚥下の状態、日々の生活習慣との関係性にも目を向ける必要があります。
小児の場合、「今日は口が開けられない」「誤嚥リスクが高い」「不機嫌で拒否が強い」といった日ごとの変化が大きく、予定していた処置ができないことも珍しくありません。現場では、「この子にとって、今日は何が必要か?」「今、できる最大限のケアは何か?」を瞬時に判断し、対応を切り替える柔軟性が必要です。
また、継続的な訪問の中で少しずつ信頼関係を築き、“できること”を一緒に増やしていくという視点も、小児在宅歯科診療ならではのやりがいです。
歯科に限らず「医療者」としての視点を持つ
医療的ケア児の訪問では、歯科衛生士にも“医療者”としての視点が強く求められます。口腔内のケアだけでなく、呼吸状態・誤嚥リスク・バイタルサインの変化などに常に目を配り、全身の状態を把握しながら関わる必要があるからです。
医療的ケア児のケアでは、「ちょっとやりすぎたかも」が命に関わることもあります。だからこそ、歯科衛生士として最低限の医療的知識を身につけ、冷静に状況を判断できる力が不可欠なんです。
何か異変が起きたときに「どうすればいいか」がわかっているだけでも、子どもと家族の安心感はまったく違ってきます。“歯科のプロ”であると同時に、“医療チームの一員”としての責任と姿勢が求められる現場です。
家族とのコミュニケーションも大事な仕事
小児在宅歯科診療において、歯科衛生士が担うのは子どものケアだけではありません。その子の生活を支える「家族」との関係づくりも、大切な仕事の一つです。
「夜中ずっと咳き込んでいて……」
「ごはん、最近あんまり食べなくて」
「口の中、こんな状態で大丈夫なんでしょうか?」
こうした言葉には、医療では拾いきれない不安や孤独が隠れていることがあります。歯科衛生士として、そうした気持ちに耳を傾けることも大切な役割です。話を聞いてもらえただけで楽になったと涙をこぼす保護者もいらっしゃいます。
ケア内容についての丁寧な説明や、生活に取り入れやすいアドバイスを伝えることで、ご家族が自宅でも口腔ケアを続けやすくなるという大きな効果もあります。『信頼関係があってこそ成立するケア』それは、在宅という環境だからこそ、より強く実感できる部分です。
まだ知られていない現場の声を届けたい
「こんなに必要とされているのに、どうしてもっと知られていないんだろう?」小児在宅歯科診療に関わっていると、そんな疑問を感じることがあります。医療的ケア児や重症心身障害児、そしてその家族は、日々困難や不安に直面しています。ですが、それは社会の中でまだ十分に共有されていません。
小児訪問分野の可能性と、歯科衛生士としての未来の選択肢について、お伝えしていきます。
ニーズはあるのに支援が追いつかない現実
「来てほしいけど、来てくれる歯医者さんや歯科衛生士がいない」
在宅歯科診療の現場では、そんな声を何度も耳にします。特に小児分野では、ニーズがあるのに支援が届いていないと感じます。
小児の訪問歯科診療には、人材や実施体制もまだ整っていないのが現状です。高齢者向けの訪問歯科がある程度確立されてきた一方で、小児は「やり方がわからない」「専門外」と支援が後回しにされてしまうケースも見られます。
「ネットで探してようやく見てくれる歯医者を見つけたけど、クリニックに連れて行かないといけなくて…。結局、1回しか連れて行けなかった」という声を聞いたこともあります。医療的ケア児が増えている今、在宅での支援体制が必要であることは明らかですが、制度・人材・知識、全てまだまだ準備不足なのが実情です。
「歯科も在宅に関われる」ことを社会に広めたい
「歯科=クリニックに通って治療を受けるもの」…そんなイメージが、まだまだ社会には根強く残っています。医科の訪問診療や在宅看護は浸透していますが「歯科が家に来てくれる」という発想自体が、ほとんどの人にとって未知の領域です。
とくに小児分野では、「え?子どもに訪問歯科?」という反応が返ってくることも少なくありません。小児の訪問歯科は、高齢者の在宅医療ほどには制度も情報も整っていない分野です。でも、「歯医者に行けない」子どもたちと、「誰にも相談できずに悩んでいる」ご家族は存在しています。多くのご家族が「子どもは歯医者に連れて行くもの」と思っており、「通えない=診てもらえない」という選択肢のなさに悩んでいる現実があります。
ですが実際には、歯科医師や歯科衛生士が、在宅医療の一員として関わることができるんです。
- 誤嚥性肺炎を防ぐ
- 「食べる」を守る
- 家族のケア負担を減らす
通院が難しい子どもにとって、口腔ケアや嚥下の支援は、命に関わってきます。歯科だからこそできる、支援があります。
もっと多くの歯科衛生士に、この現場の存在を知ってほしい。
「歯みがきで毎日えずいていたのが、あるコツで改善した」「吸引しながらでもできるケア方法を教えてもらって、家でできるようになった」…現場ではそんな小さな変化が、家族の希望や安心につながっています。
「歯科でも在宅支援ができる」「小児にも訪問歯科という選択肢がある」という事実を、もっと多くの人に知ってもらいたい。そしてそれが、まだ支援が届いていない子どもや家族の“希望”になることを願います。
現場から発信していくことが、今後の支援拡大の第一歩になるはずです。高齢者とは違う、小児ならではの支援のあり方を、もっと社会に共有していく必要があると思っています。
これから関わる人に伝えたい“入口の一歩”
「医療的ケア児に関わるって、なんだか難しそう」「自分には特別な資格や経験がないから、無理なんじゃないか」そんなふうに感じて、在宅の現場に一歩を踏み出せずにいる歯科衛生士もいらっしゃるかもしれません。
小児の在宅歯科診療は、専門的な知識や柔軟な判断が求められる場面もあります。ですが実際の現場では、誰かが“完璧な支援者”として突然現れることはありません。多くの人が、「分からないなりに始めてみた」「誰かの横で少しずつ覚えていった」そんな入り口からスタートしています。私もその一人です。
- まずは知ること。
- 関心を持つこと。
- 「自分にもできることがあるかもしれない」と想像してみること。
その小さな一歩が、子どもや家族にとってはとても大きな希望になることがあります。
在宅歯科診療の現場では、診療台もモニターもありません。大切なのは、生活の延長線上にあるケアと、目の前の子どもに向き合う姿勢です。「今日はここまででいい」「この方法ならできるかも」と、一緒に模索していける関係性こそが、この現場で最も大切にされていることかもしれません。
医療の世界はどんどん専門化が進んでいますが、「人と人」のケアには、マニュアルでは補えないまなざしがあります。歯科衛生士として、誰かの暮らしに寄り添いたいと思ったことがあるなら、この分野はきっと、あなたに向いています。
この記事が、まだ知られていない「小児在宅歯科診療」という選択肢に、あなた自身が一歩踏み出すきっかけになれば嬉しいです。そして、その一歩が、どこかの子どもと家族にとっての笑顔のはじまりになることを願っています。
後編はこちら↓
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