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好きなことを諦めず農家歯科衛生士という道を切り拓いた、おみくさんインタビュー

こんにちは!D.HITのインタビューチームライターのsakuraです。

活躍するフリーランス歯科衛生士さんへインタビュー。今回お話を伺ったのは、「農業と訪問歯科衛生士の両立」という、まったく新しい働き方を選んだ、おみくさん。クリニックで400人以上の患者さんを担当しメンテナンス業務のプロとして現場を支えながら、訪問歯科も自ら立ち上げ、やりがいも感じてきた彼女が、働き方を見直したきっかけとはなんだったのでしょうか。

今回は、そんなおみくさんのキャリアの「ビフォーアフター」と、フリーランスとしての挑戦、そして“農家衛生士”というユニークな生き方のリアルをお届けします!

sakura
D.HIT編集部 sakura
千葉県在住 歯科衛生士歴17年目
新卒で歯科メーカーに就職。その後、歯科衛生士として公務員に転職。 結婚・出産を経て、「自由な働き方がしたい」と考えてフリーランス歯科衛生士へ。  現在は、臨床をやりながら、スタッフ教育を含むコンサルタントやオンラインでの歯科相談をして活動中。

ーこんにちは!本日はお時間いただきありがとうございます。まずは自己紹介をお願いします。

静岡県に住んでいます、おみくと言います。34歳で、歯科衛生士歴は丸14年になります。

ー30代なんですね!ハツラツとされていて、もっと下かと思いました。

本当ですか?嬉しい(笑)もうしっかり30代です。ちなみに、趣味は「外遊び」なんです。

ー外遊びって、アウトドアってことですか?言い方がかわいい!どんなことするんですか?

登山、釣り、キャンプ、自転車、ドライブ……なんでもします!とにかく外で過ごすのが好きで、ずっと外にいます(笑)

ー本格派ですね。登山はどれくらいやってるんですか?

初めて登ったのは20歳の頃で、10年以上になります。静岡県に住んでいるので富士山にもよく登っていて、昨年は行けなかったですが、ここ何年かは毎年のように登ってました。

ー富士山、毎年はすごいです!

ほかにもいいなとか登りたいなと思った山があったら行ったりしています。自転車も好きで、一時期、家から歯科クリニックまで片道6kmを自転車で通っていました。

ーそれは汗だくですね!!(笑)

車も四駆に乗っていて、荷台に自転車を積んで出かけることもよくあります。それこそ去年のお盆には石川県に行ったんです。金沢はもう全部、自転車で回って、本当に楽しかったです。

ー外遊びってたくさんやられていますが、共通してなにが楽しいとかあるんですか?

私、道具がすごい好きなんですよ!登山もキャンプも車も、それぞれの「道具」があるじゃないですか。自転車もそうだし、キャンプのギアを集めたり、「この車で行くならこの道具持って行こう」とか、道具を使って遊ぶのが好きなんです。

ーそれって、一人で行くんですか?

主人も同じで、外遊び大好きなので、ほぼ同じことして遊べるんです。

ーそれはすごくいいですね!ご主人も一緒に楽しめるって理想的です!

そうなんです。主人とは共通の趣味が多くて、何でも一緒にできます。

ー本当に“外遊び”が人生の中心にある感じなんですね。アウトドアに目覚めたきっかけは?

最初の原点は、父親の影響ですね。父親がゴリゴリに外遊び好きだったので、よく連れてかれてました。実家が田舎で、近くに透明度の高いきれいな川があるんです。飛び込んだりできちゃうような川で(笑)小さい頃は、父に連れられて川に潜ったり、モリで魚を突いたりして遊んでました。キャンプはあまり行かなかったけど、釣りにはよく行ってました。

ー昔から自然が大好きって感じだったんですね。そういう環境で育ったから、今も自然と遊ぶのが当たり前なんですね。

そうだと思います。今でも四駆に乗っているのは、20歳の時に初めて自分で買った車がきっかけでした。移動手段というより「遊び道具」としての車ですね。自然の中に入っていくための道具として車を選んだり、キャンプ道具をそろえたり、そういうのが楽しいんです。

ーそんな外遊び好きのおみくさんが、歯科衛生士だっていうのは本当に不思議です。

実は今、一番やりたいことは「農業」なんです。

ー農業ですか!?

外遊びが好きという延長線上で、自然の中で働くこと、暮らすことにすごく惹かれていて。だからこそ、歯科衛生士の仕事をしながら、農業にも取り組めるような働き方を模索していたんです。

ーやりたいと思ったきっかけは何だったんですか?

農業は、10年ほど前からすごく興味があって。昔、祖母の家でお米づくりを手伝った経験もあって、「一次産業の人ってすごいな」というところからどんどん気持ちが膨らんでいきました。手間も時間もかかるけど、その分だけ喜びもあるし、誇りがある。そんな仕事をしてみたいと思っていました。

ー「一次産業」って久々に聞きました(笑)じゃあ歯科衛生士をしながら、農業をやりたいと10年思い続けていたんですね。

ずっと頭の片隅にはあったんですが、本格的に動き出したのは昨年「田んぼと畑付きの古民家」を購入したのがきっかけでした。結婚してちょうど1年なんですけど、主人も農業に興味があったので、タイミング的にも運命だなという感じで「この家、買おう!」って即決したんです(笑)

ーすごい!ご主人と気持ちが一致したのも素敵ですね。

ただ、土を蘇らせるところから始めたんですけど、やっぱり時間も手間もすごくかかるんです。土曜日も歯医者の仕事があるし、平日はフルタイムで働いているし、全然時間がない!ってなって。なので、農業と両立するには、働き方そのものを見直す必要があると感じていました。

ーそのタイミングで、働き方を考えるようになったということなんですね。

そうです。でも、職場の雰囲気を壊すのも嫌で…。その歯科医院はママさんスタッフが多いところだったんですけど、みなさんパートでもラストまでとか、バリバリがっつり働いてる!って感じの人が多くて。私もそれまでずっとフルで働いてきたけど、結婚のタイミングで「自分の時間とか畑をする時間が欲しいから、パートになって土曜を休みにしたい」って話をした時に、ちょっと雰囲気が「あれ?」っていう感じだったんです。

ーなるほど。相談した時に、ちょっと違和感を感じたんですね。

やっぱり土曜日もみんな隔週で子ども預けて出勤しているので、暗黙のルールで「土曜は出るもの」みたいな空気があったんですよね。私はまだ子どももいないのでそういう感覚があまりない上に、「土曜日休みたい」って発言をしたことで変な雰囲気になって、「あれ?ちょっとなんか違うかな?」って。

ただ職場は仲も良くて、みんなで話し合ったんですよ。でも、その医院的にやっぱり土曜日は稼げる日だし、その時は「パートでも隔週では出ないといけないよね」というところに落ち着いて。なんとなく、「これは自分の望む働き方とは違うかも」と思い始めました。

ーなるほど。その頃から、変化を強く意識するようになったんですね。

はい。ただ、すぐに動いたわけではなく、「じゃあ来年からパートになろうかな」くらいの話をしていました。でもその矢先、自分の身体に異変が起きたんです。

ー異変とは…?

実は1年くらい前からずっと「体がなんかおかしいな」って感じてたんです。たとえばシャンプーしてても手がだんだん下がってきちゃうとか、歩いていて足が前に出にくくなるとかいうことがたまに起きていたんです。ちょっとした動きがうまくできない。でも、最初はそんなに気にしてなくて、周囲にも相談するほどじゃないと思っていました。

ーそのときはまだフルで働いていたんですか?

そうです。朝から夕方まで診療、昼休みには訪問、診療後には報告書作成。体を休める時間がほとんどなくて。でも、私は仕事が好きだし、楽しいからこそ頑張れてたんですよね。でも2024年12月、ちゃんと病院で検査を受けたら、「重症筋無力症」と診断されました。指定難病なんです。筋力が維持できなくなる病気で、急に体が動かなくなることもあるんです。

ーそれはまさかでしたね…。

最初は驚きました。変な話、一生ものの持病にはなるので。

ーずっと付き合っていく感じなんですね。

でも、その直前に「キャリココ」のキャリア支援プログラムを始めていて。ちょうど診断の1週間前から始まってたんです。

ーえっ!キャリココと病気の発覚が、ほぼ同時だったんですか?

そうなんです。11月末にキャリココを始めて、12月6日に病名を告げられて、翌日には入院しました。実際の入院は2週間でしたが、療養期間も含めて先生が「しっかり休んで」って言ってくれて、1ヶ月お休みをいただきました。1ヶ月まるごと仕事を休んで、人生で初めて、立ち止まることになりました。

ーアクティブなおみくさんが、病院のベッドに2週間……想像つかないです。

自分でもびっくりしました。でもね、不思議とそのとき落ち込まなかったんです。キャリココでコーチとのやり取りや、マインドセットの動画を見たあとで病気の発覚…って流れだったので、結構ポジティブマインドになっていて。前向きに捉えられたんですよね。その1ヶ月の間に、「このまま今の働き方を続けていいのか」「本当に自分がやりたいことって何なのか」って、ちゃんと見つめ直して考える時間ができた。自分の身体もやっぱり大事だし、ずっと歯科クリニックで求められる歯科衛生士でやってきたけど、もうそろそろ辞めてもいいのかなとか…いろいろ考えました。

ーしっかり自分と向き合えた、いい時間になったんですね。

それでふんぎりがついて、「やっぱり私は、自分で時間をコントロールできる働き方をしたい」っていう思いが固まりました。コーチともいろいろ話をして、退院した翌週ぐらいに先生に話そう!って決めました。

ーその気持ちを院長先生に伝えて、納得してもらえたんですか?

はい。先生も私の状況を理解してくださっていて、「農業や家族との時間も必要だよな」と思っていたようで。ただ、他のスタッフとの関係性や職場の空気を考えると、強く言い出せなかったと。だから私の提案に、むしろホッとされた感じでした。先生としても、「俺からおみくを手放してあげたほうがいいのかな」みたいに思ってくれていたようです。

ーそう思ってくれてたんだ!14年間も働いたクリニックですもんね。信頼関係があったんですね。

14年間みんなの産休や育休を支えてきて、自分の担当患者さんもかなりいたので、そういう意味でも先生は「やりきってくれたよな」って思ってくれてたみたいです。「パートになって他に時間費やしたいと言った時も、俺は強く言えなかったけど、本当はそうしてあげたかった」って温かい言葉もいただきました。なので、退院後に私から先生に話があると伝えた時に、先生は「おみくはもう辞めるんだな」と思ったみたいです。

ー院長、そんなふうに考えてくれていたんですね。なんて切ない…!

でも辞めると思いきや、業務委託の話をしてきたから、「お!?そっち!?」みたいな(笑)

ーあ、そこで業務委託の話を提案したんですね!?

はい、私はずっとメンテナンスをメインで担当していたんですが、訪問や口腔ケアの仕事が好きで、そっちにシフトしたいって思っていたんです。「もう診療室の中で働くのは辞めて、外で働きたいので、業務委託という形で、自分がやりたくて始めた訪問や口腔ケアの仕事を私に振ってもらって、仕事していきたいんです」って言いました。

そしたら先生、「その手があったか!」って(笑)

ー納得してもらえたんですね。

はい、そこから業務内容とか契約の話を2人で詰めていって、少し前から始動しています。

ーすごい!大成功じゃないですか…!さっき「やりたくて始めた」っておっしゃってましたけど、その医院の訪問歯科はもともとおみくさんが立ち上げたんですか?

はい。もともと往診はやってなかったんですけど、私が22歳で入社して2年目のとき、「やっぱり往診をやりたいです」って手を挙げました。先輩の歯科クリニックが往診をやっていたのでそこに研修に行かせてもらって、施設や居宅への訪問を立ち上げました。

ー自分で開拓した仕事だったんですね。思い入れも強いですよね。

そうですね。最初は週1件とかでしたけど、午前中はメンテナンスやって、昼休みに先生とおにぎり食べながら訪問行って、帰ってきてまたメンテナンスして、夜まで報告書書いて…ってやってました。感じの良い先生なので、訪問も評判が良くて、往診も結構忙しくなっていって…毎日クタクタで、今思うと働きすぎでしたね(笑)私は本当は往診の仕事だけに専念してやりたいけど、中の仕事もめちゃくちゃ忙しいので、どうしたらいいかわからなかったです。

ー診療室内の仕事も、かなり忙しかったんですね。

メンテナンスを結構がっつりちゃんとやる歯医者だったんです。デンタル12枚法やCAMBRA(むし歯リスク評価)システムも導入していて、1人1時間かけて診るようなスタイルでした。患者さんとも仲良くなって、30分くらいは喋っていました(笑)私の担当患者さんは420人くらいいたんですけど…

ー420人!?すごい…!

まぁ歴が長いのもあるんですけど、もう新規では予約取れなくてリピーターさんばっかりで回していて、ずっとメンテナンスをやってる感じでした。だから患者さんも長く通ってくれていて、孫みたいに可愛がってくれるおじいちゃんおばあちゃんとか、娘みたいに思ってくれてる方とか、保育園の時から通ってくれてた子が自分で車運転してきたりとか(笑)

それはそれですごく楽しかったし好きだし、良かったんですけど、10年目くらいの時に、「もう中の仕事はやりきったな」って思ったんです。このままずっと私、メンテナンスで高み目指したいのかな?って。

ーやっぱり訪問とか口腔ケアがやりたいと。

はい、私がずっと育ててきた訪問や口腔ケアの仕事は、超高齢社会で絶対この先必要だよなって思うし、クリニックにとっても往診をやってるかどうかって大事だと思います。だからそれを商品にして、私やっていけるんじゃないかなって。

ーかっこいい…!お話聞いてると、本当に“人”が好きなんですね。訪問って楽しいですか?

めっっっちゃ楽しいです!おじいちゃんおばあちゃんが大好きなんです。じぃじとばぁばが、大好物(笑)私、自分の祖父母が早くに亡くなっていて、親は共働きだったので、周りのじぃじやばぁばに育てられたような感覚があるんです。あと、昔の話を聞くのが大好き。認知症の方って、昔の話はよく覚えてらっしゃるじゃないですか。昔はああだったこうだったって、その人の昔話を聞くのがすごく好きです。

そういう方たちが、最後まで「口から食べる楽しみ」を持てるようにサポートしたいって思っています。だから、審美や歯周治療よりも、命と向き合う口腔ケアに惹かれました。やっぱりみんな、食べることって好きじゃないですか。訪問で診ていた方が亡くなった時は泣くことも多かったけど、やっぱり最後まで自分の口でご飯食べて欲しいし、楽しみを奪ってほしく無いと思って、やっぱり「この分野が好きだな」って思ったんです。

ーそういうおみくさんの「好き」ということって、昔からあって、ずっと思っていたことなんですか?それともどこかで自分の棚卸しをして「好きだな」って気づいたんですか?

なんとなく、昔から「好き」はありました。でも、どうしても「やらないといけないこと」ってあるじゃないですか。それこそ若かった頃は、「言われたことをやらなきゃいけない」っていう感覚で歯科衛生士業務をしていました。その中でかすかに自分の好きなものがあっても、その時は前面に出せなかったです。まだ若いし経験も浅いから、わかってもらえなさそうだなって思って、なかなか言えなかった。けど、5年、10年と経験をしていくうちに「もっと自己主張したほうがいいな」と気づいたんです。

ーなるほど。毎日忙しいと、自分が何を好きかなんて、考える余裕もない…という人もきっと多いですよね。

そうですね、私は、忙しい毎日でもその「好き」は変わらなかったんですけど…みんながそうじゃないですよね。でも、忙しいを言い訳にするのもなんだかなと思うし、それで文句言ってるんだったらもう全然違う仕事したほうがいいんじゃないかなって思うし、やっぱり「踏み出す一歩」がない人っていうのはたぶん、そういう自分の「好き」も忘れちゃうのかな、とは思います。

ーいつの間にか消えちゃうのかもしれないですね。日々の仕事に忙殺されてると、もう記憶を掘り起こさないと「好き」って思い出せないのかも。でもおみくさんはちゃんと心の中にそれを残していたんですね。退院後、院長に業務委託の話を伝えてからは、スムーズだったんですか?

はい、1月からはパートになって、少しずつ時間の使い方を変えてきました。病気のことも気遣ってくれて、パートになってからは夕方は少し早めに上がらせてもらったり。そして、8月から完全に業務委託として本格始動しました。

ー7月末まではパートをやって来れられたんですね。

やっぱりメンテナンスがメインの医院なので、歯科衛生士は5人はほしいっていうのがあって、新しい歯科衛生士を雇おう!って。最後の方はもういわゆる後釜ちゃんを育てることに注力していました。幸い、すんなり4月に良い新人さんが入ってくることになったので、「しっかり育てて、8月から私は訪問に専念します」と先生にも伝えて、スムーズな移行ができるよう3月から準備して、しっかり育成の計画を立てて取り組みました。その子が独り立ちするまで、技術面はもちろん、話術や考え方までしっかり落とし込んでもらうために、みんなで協力して教育しました。

ーすばらしい。立つ鳥跡を濁さず、ですね。

そうですね。そこまでは辞める側の責任だと思っていました。しっかり育てきったので、今はその新人ちゃんが頑張ってくれていると思います!

ー8月からフリーランスとして本格的に始動したということですが、今の働き方はどんな形なんですか?

現在は週3日、午前中に施設に訪問しています。口腔ケアだけ基本は衛生士単独で回って、治療が必要な方がいたら、昼休み中に先生と一緒に再訪問するスタイルです。だいたい13時ぐらいまでには終わります。

ー訪問が終わった午後の時間に、農業を?

はい!午後の時間や木金は空いてるので、その時間に畑を耕したり、土をならしたり。あともう1件、新しく介護施設からも訪問歯科の依頼を受けていて、今契約内容とか決めてる最中なんです。

ーえっ!新しい施設からの依頼って、営業したんですか?

いえ、実はそこに勤めている管理栄養士さんが、私の患者さんで。小さい頃から10年間ずっとメンテナンスを担当していた子のお母さんなんですが、私が仕事を辞めるって伝えた時に「こういう働き方をするんです」って話したのを覚えててくださって、タイミングよく声をかけてもらえたんです。

ーすごい…!ご縁ですね。

本当にそう思います。その施設、これまでは歯科衛生士を従業員として雇っていたらしいんですが、その方が退職されて誤嚥性肺炎のリスクが高まっていたそうで。「常駐までは難しくても、定期的に来てくれる歯科衛生士さんが必要」ということで、ちょうどぴったりはまったんです。午後の3時間くらいを週2でっていう形になりそうです。

ー理想的な形ですね。訪問も継続できて、農業の時間も確保できて。

はい。本当にいい流れに乗れたなと思っています。

ー今後の目標ってありますか?

ニンニク農家になること!!

ーニンニク農家!

今、ニンニクを育てるために準備しているところです。まずは、収穫までたどり着くのが目標。そしてそれを、自分のブランドとして売ってみたいです。主人は映像制作の会社を経営していてビジネス脳が強くて、「どうせやるなら利益も見込める作物にしよう」と一緒に考えて、そうなりました。

ー農業が想像以上に本格的ですね…!おみくさんの中で「これが作りたい!」というのはなかったんですか?

私は「農業ができればなんでもいい」と思っていたし、ニンニク大好きなので全然いいです(笑)ニンニクって手間が比較的かからないのに、単価が高いらしいんです。保存もしやすいし、ブランド化して販売もしやすいし、ネットでも売りやすいということで、ニンニクがいいんじゃないかって。

ーご主人、めちゃくちゃ頼もしいですね。

本当にそうなんです。私はビジネスとか契約とか苦手なタイプなんですが、経営者としてもアドバイスをくれます。デザイン系の仕事なので、私がデザインした資料にも結構口出してくるんですけど(笑)意見は聞きつつ、でも初めてなんだから多めに見てよって言ってます。

ーキャリココを始めるとき、ご主人はどうでした?

最初は「大丈夫なの?なんか怪しくない?」って(笑)私もなかなかうまく説明できなくて…

ー誰もが通る道ですよね(笑)難しいですよね。

でも私が夜にZoomしていたり、資料を必死で作ったりして一所懸命取り組んでる姿を見て、「おみく、めっちゃ本気なんだな」って思ったみたいで、途中から「今日Zoomの日でしょ?」って言ってくれたりして応援モードになってくれました。

ー理想のパートナーですね。ご主人との関係や家庭の雰囲気も、変化ありました?

そうですね、私、これまで仕事の愚痴を夫にあまり言ったことなかったんですけど、去年の「土曜日休みたい」って話で職場の空気が微妙だったんだよね〜っていう話をした時の私と、ふっきれて先生に働き方を変えたいって伝えた時の私と、全然表情が違うよっていうのは言われました。

ー気づいてくれてたんですね!

去年はなんか元気なさそうだったし、あんまり文句言わないけど色々溜まってるんだろうなっていうのは感じてたみたいで、今の働き方になってからは「すごく楽しそうに見える」って言ってくれています。家でも仕事の話をよくするようになったし、収入面でも、働く時間は短くなったけど同じくらいは稼げる見込みなので、「おみくに任せるよ」って感じでそこは特に何も言われないです。

ー実際、今の働き方になって何が良かったと感じますか?

「自分の好きなことができること」です。病気を抱えてることもありますが、それ以上に「自分のやりたいことを大事にできてる」っていう感覚がすごくあります。農業も、訪問歯科も、どちらも大切にしたいからこそ、今の働き方はすごく楽しいと感じられます。

ーなるほど。おみくさんにとって“好き”がちゃんと繋がってる働き方なんですね。

そうなんです。そしてもう一つ、今後は「もっと介護の勉強もしたい」と思っています。訪問の仕事は、居宅だと途切れる可能性もあるけど、施設は半永久的に人が入ってくるので、仕事としてはずっとあるものだと思っています。これからは、嚥下や摂食に関する知識を深めて、より専門的に高齢者のケアに関われるようになりたいです。

ー歯科衛生士としても、農家としても、成長し続けたい。ダブルワーカーですね。

はい。「兼業農家DH」として、二刀流で頑張っていきたいと思ってます。

ー最後に、今この記事を読んでいる、“今の働き方にモヤモヤしている”歯科衛生士さんたちに、伝えたいことはありますか?

歯科衛生士って、つい「歯科クリニックで働くのが当たり前」って思いがちで、私もそう思っていました。「歯科医師の指示の下で」っていうのに縛られていますよね。でも、本当はもっと自由でいいはずなんです。私は訪問と農業っていう道を選びましたが、きっとそれぞれに“好き”な分野が絶対あると思います。歯周病治療が好きな人、矯正が得意な人、審美に関わりたい人——。その「好き」を突き詰めて一所懸命になれば、道は拓けると思います。好きなことに専念できるのって、すごく人生が充実する!というのは今すごく思っています!

ー素晴らしいメッセージをありがとうございます。これからの「農家衛生士」おみくさんのご活躍、楽しみにしています!

おみくさんのキャリアは、「好き」に正直に生きる強さを教えてくれます。14年勤めた歯科医院でのキャリア、病気の発覚と入院、訪問歯科への情熱、周囲の人との信頼関係、農業への憧れ、そしてキャリココとの出会い——それらすべてを糧にして、“誰かの期待に応える働き方”から“自分の心が喜ぶ働き方”へとシフトしていったおみくさん。

「“好き”を諦めない」ーそう語る彼女の姿は、多くの歯科衛生士にとって、新たな選択肢への扉を開くきっかけになると感じました。