こんにちは!D.HITのインタビューチームライターのsakuraです。
フリーランスとして活躍する歯科衛生士さんへインタビュー!今回お話を伺った高木淳子さんは、50代で新たなキャリアに挑戦した一人。
歯科衛生士としてのキャリアを結婚で一度は手放し、専業主婦を経て、パート勤務を続けながら仕事と子育ての両立に文字通り奮闘してこられた高木さん。現在は、物販やスタッフ教育など、新しい働き方を模索中。人生経験豊富な高木さんのリアルな体験談を通じて、キャリアの選択肢や働き方の可能性をお伝えします。
3人のお子さんを女手一つで育て、50代でキャリアを変える決断をされた高木さんのお話は、キャリアに悩む同じ年代の方はもちろん、すべての歯科衛生士さんに読んでもらいたい内容となっています!ぜひ最後までお付き合いください。
ーこんにちは!本日はお時間いただきありがとうございます。まずは自己紹介をお願いします。
高木淳子です。神奈川県に住んでいて、歳はつい最近52歳になりました。
ーおめでとうございます!え〜!見えないです!!
ありがとうございます。いや、フィルターですかね?画面ではいい感じにうまくかかっています(笑)
ーなるほど(笑)高木さんは、ずっと歯科衛生士を続けていらっしゃったんですか?
ずっとではなくて、臨床としてはトータルで11~12年ですね。
ー他の仕事をされてたりしたんですか?
3人の息子がいるんですけど、子育てに専念するために専業主婦をしていた期間が長かったです。正社員で6年ほど勤めた歯科医院を結婚を機に辞めて、1人目の息子が3〜4歳の頃パートに出たんですけど、最初は働くつもりはなかったので子どもを幼稚園に入れてたんです。20年前の話なので、当時は子どもを幼稚園に入れて働くお母さんって、いなかったんですよね。
ーそうですよね。預かり保育とかもないし。
幼稚園が午後2時には終わってしまうし、しかも水曜はもっと早く帰ってくるんですよ。今はどうかわからないけど、昔はそれが主流でした。
ーうちも3人とも幼稚園なんですけど、そういえば1人目の時は水曜は早かったです。1時には帰ってきてました。
当時は昼ごはんもなく帰ってくるので、朝送ってってからちょっと家のことをしたら、あ、もうお迎え?っていう時間になってました。
ー毎週、お昼もなしですか?それはきつい…!
だから水曜日は必然的にパートはお休みになるし、木曜は基本休診だし、土日は幼稚園休みだし…働けるのは月、火、金の3日間だけ。週3パートで、しかも午前中のみです。
ー確かにそれだと、ほんとに限られた時間しか働けないですよね。
その週3パートも、子どもの具合が悪かったり幼稚園の行事があったりすると休んだりして、もう全然働けないじゃん…って感じでした。毎日ただただ忙しいのと、申し訳ない気持ちばかりで…当時は時給も安いし、忙しいわりに稼ぎも少なくて、だんだん苦しくなってきました。結局、パートは3か所行ったんですけど、続けられなかったですね。
ーそうだったんですか…気持ちばかり焦ってしまいそうですね。
それで、子どもの手が離れるまでは家事に専念しようって決断をしたんです。で、子どもがある程度大きくなってから、またパートに戻ることにしました。
ーそれは大きな決断でしたね。手が離れるまでというのは、具体的にお子さんがおいくつの時だったんですか?
私、3番目の子が2〜3歳の頃に離婚をしたんですよ。長男が中3、次男が中1くらいだったかな。その頃にパートに出始めた形です。10年くらいブランクがあったんですけど、働かないといけなかったのでやるしかなかったです。
ーそうだったんですか。お兄ちゃんたちは結構大きかったんですね。
そうですね。でも思春期だったし、離婚のごたごたで精神的にもみんな不安定でした。学校に行けなかったり、少し荒れて家に帰ってこなかったりとかもあって。
ーそれはすごく心配でしたよね。
それもあって、フルタイムは体力的にも家庭環境的にも、とてもじゃないけど難しかったので、パートでした。
ー復職の際に、何か悩みや困難はありましたか?
再就職先を見つけるのにすごく苦労しました。通勤に時間をかけられないので近場で、自転車でいけるところをピックアップしたんですけど、年齢で弾かれることも多かったんですよ。
ーえ!
40歳を過ぎているということで、不採用になることもあって。「年齢で弾かれるんだ…」と思って、驚きました。
ー引く手数多なイメージなのに、年齢が理由で不採用はショックですよね…。
そうなんです。年齢に関しては少し甘く見ていた部分があって、いざ面接を受けてみて実感して、焦りを感じました。これはあまり選り好みしてる場合じゃないと感じて、条件が多少合わないところだったけど、割とすぐに決めてしまいました。
ーそこはどんな勤務形態だったんですか?
そこでは結構フルタイムに近い勤務をしていました。商業施設に入っているので、夜遅くまで開いていて、休みなく土日もやっているような大きな歯科医院だったんです。だから自分の入りたい時にどんどんシフトに入れる環境で、そこはよかったですね。正社員ではなかったけど、結構な時間数出勤していました。
ーその時はどのような日常でしたか?
朝お兄ちゃんたちを送り出して、下の子を保育園に預けてから出勤という感じでした。朝から仕事に行くこともあったり、午後から行くこともあったり。夜は確か8時か9時までやってたのかな。ラストまで入ることもありました。
ーえっ、その時は保育園のお迎えはどうしてたんですか?
その時はお兄ちゃんに行ってもらってたのかな…もうすごく前のことだし、当時は必死すぎて…私も今言われて、どうしてたんだろう?って(笑)記憶が…
ーあはは(笑)でもお兄ちゃんたちも手伝ってくれるとは、頼もしいですね。
本当に助かってました。家族みんなで協力して、もう毎日必死にやってた感じですね。
ー本当に、大変な時期を過ごされてたんですね…その歯科医院で、長く勤められたんですか?
そこでは、院長のパワハラが酷かったんですよ。スタッフ全員に対して厳しくて、特に仕事の進行が遅くなると暴言や、物を投げられることもありました。
ーえ〜!具体的にはどんなことを?
アシスタントについていると足を蹴ってきたりとか。あと、シリコン印象のトレーが間に合わなくて、トレーを投げつけられたこともあります。あれ、固くてなかなか出ないじゃないですか。2人がかりでやって、でも口腔内にトレーを入れた時に、固まっていたんでしょうね。「遅い!」みたいな感じで、トレーがパーン!って飛んできました(笑)
ーええっ!いや、全然笑えないんですけど・・・!
いつもそんな感じで、怖かったです。あとは診療終わりに、ドクターとかスタッフを並ばせてお説教もありました。基本全員が怒られるんですけど、1人だけ吊し上げられることもあって…あれは地獄の時間でした。全員下向いて、とにかく説教が終わるのを待っていました。
ー全員に言いたいんですね。個々に攻撃されたりはしなかったんですか?
ドクターの中では個々でも呼び出されて…というのがあったみたいですけど、歯科衛生士にはそこまではなかったと思います。
ー歯科衛生士同士の人間関係はどうでした?人数多かったですか?
衛生士同士も、どこで誰と繋がっているかわからないのであんまり本音は言えない感じで、関係は薄かったですね。歯科衛生士は3〜4人で、歯科助手も5〜6人かな。
ーえ〜少ない!その人数で商業施設の歯科医院キツイですよね?
そういう医院だから、人もすぐ辞めちゃって。1ヶ月の中でもどんどん辞めていく…みたいな状況で、常に人が足りてなかったです。
ー入れ替わり激しいと、スタッフ同士も仲良くなれないですよね。
結構バタバタしてる歯医者だったので、雑談する時間があんまりなかったですね〜。
ーアポイントはどんな感じだったんですか?
アポは30分で全顎でした。歯科衛生士で1列ユニットの予約が入っている状況だったので、アシスタントに着くことはほぼなかったです。アポのキャンセルがあったりしてアシスタントに入ろうとしても、ドクターは一人でやることの方が慣れているので、むしろいらないと言われたり。
ーその頃のお子さんの様子はどうでしたか?1列予約が入ってる状態で、お子さんが熱出したりすると大変じゃなかったですか?
幸い、子どもの具合が悪くなって学校を休んだりすることはなかったんです。学校に呼び出されることもなかったし。でも、子どものケアはやっぱり大変でしたね。特に食事は気をつけていました。ひもじい思いというか、食べることでツライ思いはさせたくなくて、どんなに忙しくても作っておくなり買っておくなり、ごはんだけはちゃんと準備しておくというのは心がけていました。
ーお子さんたちがお腹すかせないようにしっかり準備されてたんですね。素晴らしいです。
仕事がラストの日は、兄弟で歯医者が入っている商業施設まで来てもらってファミレスでご飯を食べることもよくしていました。兄弟で食べているところに私が合流する形で。ファミレスって兄弟で食べたいものが違っても困らないし、今は値段も上がっちゃったけど10年前はすごく安かったし、「なんでも好きなもの食べな!」って言ってあげられるのは本当にありがたかったです。
ー良いですね!高木さん一家にとって、思い出のファミレスなんですね。
そうですね、「よく来たよねーあの時大変だったよねー」みたいな感じです(笑)その歯科医院は、パワハラに耐えながらも1年半ぐらい頑張ってました。その後もほぼブランクなく他の歯医者に就職して、ずっと歯科衛生士一筋です。
ー歯科衛生士1本でずっとやってこられて、仕事で悩むことはありましたか?
そうですね…歯科医院自体が、すごく狭い世界じゃないですか。良いことも悪いことも、その狭い世界で完結してしまうことがどんどん苦しくなってしまって。あとは、院長にすごく左右されてしまうところですかね。
ー院長の影響は大きいですよね。
少し前まで行ってたところの院長も、物を投げたり蹴ったりこそなかったけど、言葉の暴力がありました。きついことを言うわけじゃないけど、やる気を削ぐようなことをたくさん言う院長でした。それをコミュニケーションと勘違いしている方でした。
ーそんな院長いるんですか?どんなこと言うんですか?
ちょっとバカにした言い方というか。「淳子ちゃ〜ん、わかるかなぁ?できるかな〜?」みたいな…しかも患者さんが目の前にいるのに、そういう言い方をするんですよ。患者さん不安にさせるようなことを言うんです。こっちは、30分の限られた時間の中で優先順位考えて、患者さんとの信頼関係を作りながらやってるのに、すべてをひっくり返すようなことをしてくるんですよ。
ーええ〜?わけわかんないですね。理解できないです。
もう、それが毎回なんですよ。そこを辞めようと考え始めた頃に、今後の働き方のことを考え始めました。
ーなるほど!D.HITとは、どこで繋がったんですか?
D.HITはインスタでよく広告が流れてくるので見てたんです。最初は「若い子対象でしょ、自分には関係ないな」と思ってたんですよ。「せいぜい40代くらいまででしょ」って。でもある時、社長のインスタライブを見てみたんです。杉野社長のことはリールで話されてるのを何度も見たことがあって、やっぱり話に引き込まれるというか、魅力ある方じゃないですか。だから、インスタライブがあるならちょうど時間あるし見てみようかなと思って。そこで、思い切って質問してみたんです。
ーおお!質問したんですね!
そうです、コメントで、「50代の人っているんですか?」みたいな感じで送りました。そしたら社長から「全然います!むしろ60代の方もいますよ」と回答もらって、えー?と思って、、、それですぐインスタライブを閉じて、LINE開いて無料相談に申し込んでました(笑)その時は相談枠いっぱいだったんですけど、ちょっと時間が空いてから予約とれて。
ーすごい行動力!無料相談を受けた感想はどうでしたか?
無料相談では、今の院長やスタッフとの関係について話しました。「自分の中では辞めようと思ってるけどまだ院長には言ってなくて…辞めたほうがいいですよね?」みたいな(笑)相談を通じて「今の職場では限界が来ているな」と再確認することができました。
ーそれが転機になったんですね。
無料相談で話しながら、もう「やろう!」って気になってました。これも縁だし、年齢も年齢だからやるなら今始めるしかないと思って。すぐに資料を送ってもらいました。
ー迷いはなかったんですか?
やっぱり金額が大きかったので、そこはどうしようって悩みました。この年齢でこの金額を今から払う価値はあるのかな…って。でも、働き方を変えて、きちんと成果が出て収入が上がれば、この金額ってわりとすぐ回収できるんじゃないか?って思って。「回収できるんじゃ?」というより、「回収すればいいんじゃん」って自分に言い聞かせて一歩踏み出しました。「飛び込んじゃえ!」って感じでしたね。
ー実際に飛び込んでみて、プログラムを始めて、どうでしたか?
営業の面では苦労しました。特に電話がもう…。今まで出会った院長がトラウマになってて、院長と話をすること自体に拒否反応があったんですよ。今までちゃんと院長と向き合って対話したこともなかったので、怖くってね〜、院長が。
ー今までのクリニックで、院長に良いイメージが全くないですもんね…。
しかも、何かを説明するだけじゃなくて自分を売り込まなきゃいけないっていうのがあるじゃないですか。助っ人で始めたんですけど、もうすごく大変でした。でも、50件はがんばって電話をかけたんですよ。
ーすごい!頑張りましたね!
最初、プロフィールシートを用意せずに10件くらい手紙を出して電話していたんですけど反応がなくて、その10件にプロフィールシートを持参して直接飛び込みで行ったんです。
ー直接行くなんてすごいです!
でも、地域柄なのかあまり困っている歯科クリニックがなかったんですよね。家の近所で探してたんですけど、特に駅近は人が集まるのか、いつも募集が出てる医院でもそんなに逼迫してないんですよ。時給の相場も低くて…私が商談に行って「時給2500円です」とか言っても、「そんなに出せないからいいや」って感じで。あんまりどこも困ってない雰囲気でした。
ーヒットしなかったんですね…。
そうなんです。その後さらに50件の電話をかけよう!ってコーチと決めたんですけど…その矢先に、リウマチになってしまったんです。少し前から手がこわばることがあって、更年期もあるしそんなに気にしてなかったんですけど、どんどん症状が悪化しちゃって。ペットボトルが開けられないとか、野菜が切れないとか、手が動かなくなるという問題が起きました。病院の検査では問題なかったけど、症状的にリウマチだねって言われて。助っ人は高い時給もらうのに、仕事ができないとダメじゃないですか。力が入らないので、やっぱり色々もたついちゃうんですよね。蓋が開かないとか、スケーラーのチップが外せないとか、痺れてるからフレミタスがわからないとか、細かいところに支障が出てきました。
ー持病を抱えて助っ人をするのは不安ですよね。
それで、思い切って助っ人を諦める決断をしました。もう臨床は自信ないから助っ人辞めますってコーチに言って、「じゃあどうしようか」ってなって。その時にはパート先も前のところは辞めて、今勤務しているクリニックになってたんですけど、コーチと相談して、その歯科クリニックの状況をまず整理していきました。
今のとこは開業からずっと人も足りてなくて、マニュアルもないし引き継ぎもできてないから、みんなが自己流でやっていて、どれが正しいのかわからないみたいな状況だったんですよ。
ーあ〜、あるあるですよね。
そんな状況ですってコーチに言ったら、「じゃあそれを、院長に提案してみたらどうですか?」って言ってもらって。マニュアルと資料作成を、院長に提案することにしました。
ー院長に提案したんですか?すごいじゃないですか!
院長に、ドキドキしながら、マニュアルがないのかとか聞いたら「ないんですよ、作ってくださいよ」って言われて。「私そういう仕事してるので、よかったら作りますよ」って思い切ってアピールしたら、「見積もり持ってきてください」って言われたんです。
ーおお…!
で、即効作りました。でも1回もやったことないから、料金どうしようと思って(笑)マニュアルと資料作成と、あと受付まわりの物販もほこりが被っている状態だったので、それもやりますよって言って、だいぶ高かったんですけど、合計8万で見積もり出しました!やるとなったら材料も時間もかかるから、これで提示してみてダメだったら安くしようと思って、持って行きました。
ー院長の反応はどうでしたか?
見積もり見て、二度見してましたけど(笑)最終的には「お願いします」と依頼をいただきました。それが、キャリココが終わる4日前だったんですよ。
ーえ〜すごい〜!!感動的…!泣きそう!
ほんとに、バタバタっと決まって、コーチにも「決まりました!」って報告して。今それをやってます。もう物販も終わりに近づいてきていますけど、その後もこの医院で資料作成とか、オンライン秘書業務は継続して提案してみようかなって思っています。
ーなんだかすごく急展開だったので、驚きました!今まさにこの話をしている高木さんの表情がどんどん変わっていくのがわかります!
私、こういう仕事が好きだったんだ!って気づきました。資料作成とか、物販のディスプレイ考えたり、ポップ作ったり、コツコツやるのが楽しいんですよね。こういう裏方が好きだったんですね。
ー今後の課題とかはありますか?
今ディスプレイこそ綺麗になりましたけど、それだけだとやっぱり売れないんですよね。他の衛生士さんが、実際患者さんに歯ブラシの処方ができてないんですよ。アポイント30分で、クリーニングして患者さんへ説明して、TBIして、さらに歯ブラシもお勧めするという余裕がなくて。若いスタッフが多くて知識的なことも足りないので、そのあたりもやってほしいって院長からも言われてるんですよ。今は私しか売ってないので、歯ブラシの商品知識とかもマニュアルにしていって、他のスタッフにも伝えていけたらとは思っています。
ー素晴らしい計画ですね!
でもあんまり、人に教えるっていうのが得意じゃないんですよね。「時間なくてそこまで手が回らないんです」とか言われると「そうだよね〜!わかるわかる」ってなっちゃって(笑)なかなかそこで、「わかるけど、なんとか時間作ってこういうふうに説明して…」というのが言えなくて。自分の中でも、長年の感覚でやってる部分があるので、それを人に伝えるとなると、まだまとまっていないというか整理できていないんですよね。
ー歯ブラシを選ぶためのフローチャートとかもありますけど、それだけじゃなくて、高木さんの経験と感覚で「でもこの人はこっちかな」っておすすめしてる部分も大きいってことですよね。
そうなんです。若い子ってたぶん、そういうマニュアルとかチャートがあったほうが良いんだろうけど、実際臨床現場だとなかなか型にはめられないじゃないですか。その患者さんの性格とか生活習慣もあるし、教科書通りにはいかないことのほうが多いから、それをマニュアルで1つの形にするっていうのが、なかなか自分の中で難しくって。
ーうんうん、難しいですよね。
数をこなしていかないと身につかないことだから難しいけど、でもそれを待っている時間もないので、どんなふうに若い人達に伝えていくかというのを考えていかないとな、と思っています。
ーそれが、高木さんの今の課題って感じなんですね。高木さんの中で、「これが目標!」というのはありますか?
今後の目標としては、臨床の仕事は少しずつ減らしていきたいと考えています。臨床も好きだけど、手や目の不調もあるので、行く行くは臨床をゼロにすることが理想です。今回やらせてもらったような、物販を整理したり、TBIの処方の仕方をレクチャーできるようなシステムを作って、それを商品にしていきたいと思っています。
ー素晴らしいです。今の歯科衛生士学校って勉強することがたくさん増えてるので、歯ブラシ1本どうのこうのっていう話を聞いてきてないじゃないですか。そういうところを、卒業してから教えてもらえるときっと役に立ちますよね。
私、若い子に歯科衛生士の仕事を嫌いになってほしくないんですよね。TBIって数こなして、いろんな患者さんと試行錯誤して関わりながらいろんな失敗をして、時には患者さんから嫌な顔されたりとか苦情が来たりとか、そういういろんな経験の積み重ねが必要だと思うんですけど、そういう私の嫌な経験を、今の若い方に伝えていきたいんです。そうすることで時短じゃないけど、心が折れにくくなるんじゃないかなと思っています。
ー事前に伝えて、知っておいてもらうということですね。
はい。すべての失敗を経験しなくても、前もって言っておけばいいことも結構あると思うんです。今の若い方々は、良い意味で合理的だし、すごく素直だし冷静。あたふたしないで落ち着いてるし、大人びてますよね。達観してるっていうのかな。良い意味でも悪い意味でも自他との境界をしっかりもって線引きしている子が多いと感じます。だから、うまくやってあげれば、すごくいい武器になると思っているんですよね。
経験が足りないせいでできないことや失敗してしまうことってあるから、それを苦にして歯科衛生士を嫌いになって辞めてほしくないんです。だから私の失敗や経験を伝えていくことで、それが防げるのであれば、伝えて行きたいなと思ってるんです。
ー高木さん、とても愛のある先輩なんですね。すべてのクリニックにそんな先輩がいてほしいって今すごく思いました。
若い子にも頑張ってほしいなと願っています。
ー今、50代でキャリアに悩んでいる歯科衛生士さんに向けて、何かアドバイスはありますか?
私の場合、40代後半から50代が見えてきたときに、「もし目がもっと見えなくなったら」「手が動かなくなったら」「何か病気をして闘病しなきゃいけなくなったら」…と考えたときにすごく不安になってしまって、今後何があるかわからないから、もう1つ何か他の選択肢がないとまずいんじゃないかなと考えたんですよね。
キャリアを変えるのって「もっと自分らしく働く」みたいなのがあると思うんですけど、そういう気持ちはもちろんあるんだけど、それってもっと20代30代の子のキラキラした希望みたいな感じというか。50代ってそうじゃなくて、もっと切羽詰まっているんですよね。目が見えない、手が動かない、記憶力が…っていうのが、もう現実として来ているのを実感してるから、「自分らしく」というよりも、もっと切実なんです。私もあと5年、10年はできると思っていたのに、予期せぬタイミングでリウマチになってしまって、まさか!って感じだったので。
ーそれは想定外でしたもんね。
本当に、嘘でしょ?と思いました。もっと歳とってからじゃないの?っていうことが実際に来ちゃって、なかなか受け入れられなかったです。そういうことが、実際にいつ現実に起こるかわからない。だから40代以降は、もう本当に早く、別の何か稼げる道…逃げ道ではないけれどもサブとして、何かもう1つお仕事があると、気持ちも本当に楽だと思います。今回私も、別のキャリアがなかったらすごく絶望していただろうなと思います。
ー歯科衛生士のパート1本でずっとやってて、手が動かないってなったら、そうですよね。
うん、本当にゾッとします。痛みと不安に耐えながら、パートを続けていたんだろうなって。今こんなに楽観的に考えられてるのは、D.HITで別の道が見つかって、臨床以外でも稼げるということがわかったから。
ーすごい。心の余裕に繋がってるんですね。
だって、さっき聞いてもらった目標も、今回キャリア変わってなかったら絶対に出てこなかった発想でした。
ー今回の高木さんのお話、すごく刺さる方多いと思います。あの時D.HITのインスタライブを見て、コメントで質問して、杉野社長に拾ってもらってなかったら、今の高木さんはなかったかもしれない。で、キャリココ中にご病気になられて、方向転換して…パート先を変えて、新しいところで仕事につながって…もうすべてが、良いタイミングだったんだろうなってすごく思いました。本当にすごいお話でした。
あと、もう一つだけいいですか?伝えたいことがあります。
ーもちろん、どうぞ!
キャリココのプログラムの中で「クリアリング」という項目があって、これがすごいと思ったんですよ。私自身、前々から断捨離したり物を捨てるのは苦ではなくて、むしろ好きなタイプなんですけど、なんでこのクリアリングっていうのがトレーニングに入ってるんだろうって思って。最初は理由もわからず、好きだからゲーム感覚で物や人間関係など整理していたんですけど、なんでこれが必要なんだろうっていうのがピンと来てなかったんですよね。でもそうやって不要な物をどんどん手放すと、スペースが空いて、ポンポン良いことが舞い込んでくるっていうことをすごく実感したんですよね。
ーそうだったんですね!
特に、職場を変えるという人間関係の整理をしたことで、そこから結構大きく動き出した感覚があったので、「クリアリングってこういう意味だったんだ!手放すっていうのはとっても大事なことなんだ」って思いました。
身の回りを整理すること自体は前からやっていたけど、その効果を実感したのは初めてでした。やっぱり環境や人っていうのはすごく自分に影響を与えるから、そこを思い切って綺麗にするというのは、ものすごく必要なことだなと感じることができました。
ー身をもって感じたんですね。クリアリングって、トレーニングの結構序盤にありますよね。
そうですよね。やっぱり何か新しいことを始める時は、ただ始めるんじゃなくて、まずは不要なものを整理してから…というのは、すごく大事なんですね。だから、これ考えた人、これをキャリココのトレーニングに入れた人、すごいなと思って(笑)それを最後にどうしても伝えたくて。このクリアリングは絶対必須だと思いましたね。
ーやっぱりクリアリングが印象に残ってる方って結構いらっしゃるんですけど、そこまで実感として感じられたというのが、すごいと思います。受講生の記録として、しっかり書いて残しておこうと思います!
今日はたくさん素敵なお話聞かせていただいて、ありがとうございました。
はい、こちらこそありがとうございました!
話している間に、どんどん良い表情になっていった高木さん。50代でも決して遅くない、むしろ、20代や30代よりも切実に、他のキャリアの可能性を広げる必要があるー。高木さんのお話には、とても身につまされるものがありました。1人の歯科衛生士としてこれからの若手のためを思う親心のようなものも感じ、心があたたかくなりました。ますますのご活躍を応援しています!